川勝広一(かわかつひろかず)    文政11年〜明治8年6月29日(1828-1875)

    東京府参事。名、広一。号、縫伝助。父、越前勝山城主小笠原長貴(5男)。嘉永4年(1851)幕府旗本川勝蓬仙の養子となる。徳川家に仕え、目付役・勘定奉行・陸軍奉行・大目付・若年寄を歴任。従五位丹波守、のち正六位。明治6年(1873)東京府参事、のち参事。明治5年(1872)9月12日の新橋・横濱間鉄道開通式当日の状況を日本鉄道史には、下記のようにある(お召列車の話しHPより)。
当日天皇直衣を召させられ、四頭の馬車に御乗午前9時御出門あらせられ東京府知事代理権参事川勝広一騎馬にて先導し皇族、太政大臣、参議、各郷以下皆直衣にて供奉し陸軍諸兵路上に整列す、新橋鉄道館においては国旗を掲揚し山尾工部少輔、井上鉄道頭以下奉迎し館内に入御、勅任官、琉球公子、各国公使等に謁を賜ひ鉄道頭は鉄道図一巻を奉献す。・・・以下略
※ 川勝蓬仙(かわかつほうせん):江戸幕末の権臣、「蓬仙茶話(ほうせんちゃわ)」の著者。

墓は、谷中霊園 甲8号22側。正面「川勝家累代之墓」。