河原崎権十郎(かわらざきごんじゅうろう)・2代    明治13年8月6日〜昭和30年1月11日(1880-1955)

    歌舞伎役者。本名、長谷幸太郎(ながたにこうたろう)。俳名、紫扇。屋号、山崎屋。東京日本橋出身。9代目市川団十郎に師事。のち、11代目片岡仁左衛門に師事し大坂へ移る。明治38年(1905)大坂弁天座で2代目市川権三郎を襲名。大正8年(1919)歌舞伎座で河原崎権十郎を襲名する。容貌や芸風が15代目市川羽左衛門に似ていたので、「浅草の羽左衛門」と呼ばれた。3代目は次男が襲名。

河原崎権十郎・3代    大正7年2月11日〜平成10年2月18日(1918-1998)

     歌舞伎役者。本名、長谷真佐一。俳名、紫扇。屋号、山崎屋。父、2代目河原崎権十郎(二男)。愛知県名古屋市出身。祖母に養育され、父は役者にするつもりがなかったが、祖母の急逝で手元に戻し、役者修業をさせた。昭和10年(1935)3代目市村羽左衛門に躾けられる。昭和21年(1946)3代目河原崎権三郎を襲名。以後、尾上菊五郎劇団に入り、昭和30年(1955)に始まった若手歌舞伎の座頭を勤める。以後、主に立役や二枚目役を演じた。11代目市川團十郎に似ていたので「渋谷の海老様」と呼ばれた。昭和31年(1956)3代目河原崎権十郎を襲名。80歳。墓の傍らに「河原崎権十郎之碑」があり、碑の裏側に「平成十二年二月吉日 贔屓一同建之」とある。

墓は、谷中霊園 甲7号3側。正面「長谷墓」。裏面「明治十四年・・・?」と読める記述があるが意味不明。墓誌なし。側に「河原崎権十郎之碑」と書かれた碑がある。裏面に「平成十二年二月吉日 贔屓一同建之」とある。2代目の3回忌に建てられたものと思われる。