川崎八右衛門(かわさきはちえもん)・初代    天保5年12月〜明治40年1月13日(1834-1907)

    川崎財閥の基礎をつくった。幼名、縫殿助(ぬいのすけ)。諱、守安。水戸藩(茨城県東茨城郡茨城町海老沢)出身。嘉永2年(1849)16歳で家業の回船問屋を継ぐ。水戸の私塾加倉井砂山の「日新塾」に入門。慶応元年(1865)水戸藩財政困窮の救済策として藩札の発行、通貨の鋳造をする水戸藩鋳銭場を設立。銭座取締役をつとめる。維新後は、諸藩の私鋳が禁じられ、大和紫烟山の鉱山を経営。明治3年(1870)水戸藩士をひきいて北海道開発なども行い、天塩を開拓する。明治7年(1874)東京で川崎組を創業し、貿易・鉄道・炭鉱・為替業務などで川崎財閥の基礎をつくり、明治13年(1881)川崎銀行をと改称。明治20年(1887)水戸鉄道会社を起こす。明治29年(1896)磐城炭鉱開発を設立。74歳。

墓は、乙11号9側。囲いの中。正面「従五位川崎八右衛門之墓」。