川崎西涯(かわさきさいがい)/川崎近義(かわさきちかよし) 天保14年〜明治17年6月23日(1843-1884)
東京外国語学校中国語助教諭。名、近義。幼少、銕之助。号、西涯。父、農業当右衛門(二男)。旧水戸藩茨城郡堀村出身。慶応3年(1867)初の女性教育者黒澤止幾(くろさわとめ)の孫娘菅子と結婚。維新政変の刺激を受け長崎の頴川重寛の門に入り、漢語を学ぶ。明治3年(1870)長野県に務めるが直ぐに辞職。外務省漢語学塾佐。4月文書司等外二等。7月一等兼漢語塾頭。文部省等外一等暦十四等十五等出任。組織変更にともない明治7年(1874)東京外国語学校に就任。明治14年(1881)7月助教諭。42歳。著書:「川崎近義 語言自迩集 : 散語問答」、「川崎近義 智環啓蒙 : 詩韻, 資治新書鈔本」。
※ 東京外国語学校(旧外語):明治6年(1873)にそれまでの官立外国語教育機関を統合し全国で8校を設立。高等教育の基礎と通訳養成の2つの目的をもっていた。明治18年(1885)までに、東京大学予備門・東京商業学校に吸収合併され旧外語は廃しとなった。
墓は、谷中霊園 乙8号8側。正面無刻。台石「川崎家」。墓誌にはない。張滋ム撰書・篆額の碑がある。