花山院侯爵家(かざんいんこうしゃくけ)

    花山院家(かざんいんけ)は、関白藤原道長の嫡孫関白師実二男左大臣家忠より出る。花山院家忠が、一家を立て花山院姓を冒す。代々大臣大将の職にあり、7清華の一人。家格は清華家。平安時代後期の藤原師実の次男家忠に始まった。明治維新以後、明治17年(1884)忠遠のとき侯爵に列した。侯爵は忠遠(ただとお)・親家(ちかいえ)・親忠(ちかただ)の3名。このうち忠遠と親家の2名が墓誌にある。

花山院忠遠(かざんいんただとお)     明治9年〜明治28年8月15日(1876-1895)

     忠遠のときに侯爵に列する。20歳。「温良院殿侯爵忠遠卿」

花山院親家(かざんいんちかいえ)  明治11年〜大正13年3月11日(1878-1924)

     侯爵。父、公卿堀河康隆。花山院忠遠の養子となる。兄、堀河護麿・岩倉具威。正三位勲三等。妻、青地伊一の妹とし。嗣子、親忠。長女、大聖寺第27世門跡花山院慈薫。明治36年(1903-1924)貴族院議員。日本製菓取締役。47歳。「至誠院殿正三位勲三等侯爵親家卿」。

花山院親忠(かざんいんちかただ)  大正7年8月3日〜平成6年2月28日(1918-1994)

     春日大社宮司・侯爵。父、花山院親家(長男)。母、青地伊一の妹とし。花山院慈薫は姉。神奈川県出身。大正13年(1924)襲爵。国学院大学国文科卒業。鹿島高等学校・佐賀西高等学校および佐賀県教育庁学校課長。佐賀県文化財専門委員。佐賀民族学会事務局。従四位。76歳。著書:「ふるさとの散歩道―肥前、筑後の旅」、「春日の神は鹿にのって」。

花山院弘匡(かざんいんひろまさ)  昭和37年(1962)〜現存

     春日大社宮司。花山院家33代目当主。父、花山院親忠。国学院大学文学部神道学科卒業。県立奈良高校教諭として地理を担当。平成20年(2008)4月1日春日大社宮司に就任。

 
墓は、天王寺墓地。甲9号18側横通路を入り、40m程行った右側。大橋納庵墓の隣り。正面「侯爵花山院家之墓」。