金原亭馬生(きんげんていばしょう)・9代    明治20年1月13日〜昭和24年1月1日(1887-1949)

    落語家。本名、小林捨吉。4代橘家円喬の門人。大正のはじめ東京から大阪に移り5代金原亭馬生の門人となる。昭和初年6代金原亭馬生を継いだ。後に東京に戻ると、東京にも同名の馬生がいたため、いったん浅草亭馬道と改名し、東京の馬生名の空位になるのを待った。東京の8代馬生の没後、昭和19年(1944)9代金原亭馬生を継ぎ、東西乱立した馬生の名が統一された。63歳。

墓は、東淵寺墓地(池之端2-4-25)。本堂裏から2番目の通路を行き、ほぼ中ほどの右側。正面「九代目 金原亭馬生之墓」。台石「田登」?。墓碑は、親族ではなく落語協会有志が昭和29年11月1日に建立したもの(墓碑裏に記載がある)。一般的には、台石には姓とか屋号を書くものだが、意味不明。