桐竹紋十郎(きりたけもんじゅうろう)・2代    明治33年11月20日〜昭和45年8月21日(1900-1970)

    文楽人形・二代。人間国宝。本名、磯川佐吉。大阪府堺出身。明治42年(1909)3代吉田文五郎に師事。初名、吉田小文のち文昇。吉田文五郎の門下となり、大正7年(1918)2代吉田簑助を経て、昭和2年(1927)2代目桐竹紋十郎を襲名。女形遣いの名人。昭和21年(1946)「先代萩」の政岡で芸術祭賞。昭和23年(1948)文楽組合を結成。昭和28年(1948)文楽界が会社派の「文楽因会」と組合側の「文楽三和会」に分裂したおり、「文楽三和会」の幹部となる。昭和40年(1965)人間国宝、昭和44年(1969)文化功労者。69歳。

墓は、宗善寺墓地(谷中1-7-31)。山門右側の低地側墓地。山門側階段を下り、通路をさらに奥、通路突き当り(右側に道路への出入り口がある)、左角。正面「磯川家之霊位」。「浄楽院釈紋淳正居士」。