北庭筑波(きたにわつくば)    天保13年〜明治20年12月9日(1842-1887)

    写真家。本名:伊井孝之助。号、北庭筑波・平米雷(へべらい)。父、油屋伊勢吉。江戸日本橋呉服町出身。当時の写真家の多くは山に関する号を使った。和漢洋の学に明るく江戸風の粋人であった。写真に興味を持ち、写真師内田九一・清水東谷・横山松太郎らと交わる。明治4年(1871)浅沼藤吉に写真材料店を開業させ、自らも明治4・5年ころ浅草公園で写真館を開業。明治6年(1873)闇夜でも写すことができる器械を取り寄せ、明治11年(1878)には、竜影を写した写真師として知られている。明治7年(1874)深沢要橘と協力し、日本初の写真月刊雑誌「脱影夜話」を創刊(脱影とは写真のこと)。約2年後には「フォトグラフィー」と改題。さらに3年を後に「写真新誌」(第一次)と改題された。明治9年(1876)に浅草に写真塾を開設。その後新橋に店を移す。明治14年(1881)10月浅草大代地の内田九一(明治8年2月17日歿)の写真館を購入して「旧内田舎」として再開業する。明治17年(1884)即席紙撮り写真を発明。交遊は広く写真界のみならず画家や文士らとの親交も多く、我が国の写真文化の基盤を築くのに大きな功績を残しす。 門下生に二見朝隈(ふたみあさま、本名:二見勇)とその弟二見朝陽(ふたみちょうよう。本名:小林利藤太)、花輪吉野などがいる。新派俳優、伊井蓉峰の父。

墓は、乙8号9側。舗装通路沿い角。小さな階段を上がる。正面「伊井孝之助之墓」。伊井蓉峰の墓は、鶴見総持寺にある。