児玉氏精(こだまうじやす) 天保10年〜明治16年3月15日(1839-1883)
宮城県伊具宣理郡長。初名、外記。父、伊予大洲藩臣清右衛門氏鎮。母、児玉氏。愛媛県出身。大洲藩の参政・藩務に参与。明治2年(1869)集議院議員、松山藩権大参事。明治5年(1872)磐前県権参事兼判事。従六位。のち県統合につき官を解かれ、明治12年(1876)宮城県伊具宣理郡長となり治績をなす。仙台にて死亡。45歳。
※ 集議院:公議所の後身として設置された明治2年〜6年(1869-1872)まであった議政機関で、太政官が提出した議案を審議した。
墓は、谷中霊園 甲1号2側。正面「従六位児玉君之墓」。