小絲源太郎(こいとげんたろう)    明治20年7月13日〜昭和53年2月6日(1887-1978)

    洋画家。本名、小糸源太郎。東京上野出身。白馬会駒込研究所にて藤島武二に師事。また、海野美盛に塑像を学ぶ。東京美術学校金工科卒業し、西洋画科へ再入学したが病のため大正3年(1914)中退。文展・帝展に出品。大正期の官展で受賞。昭和5年6年の帝展で「暮春閑情」、「獺祭図」を連続特選。昭和7年(1932)第12回文展開催日に自作を誤解から破る事件を起し、昭和14年(1939)まで出品を自粛した。戦後は、日展・光風会日本国際美術展・現代日本美術展で活躍。昭和29年(1954)「春雪」が芸術院賞を受賞。昭和34年(1959)日本芸術院会員。昭和40年(1965)文化勲章受章。日展常務理事。代表作に「嬋娟」(東京国立近代美術館)がある。

墓は、多宝院墓地(谷中6-2-35)。慈母観音像左側通路入り中程、左側。正面「小絲源太郎」。「源徳院栄寿勲光大居士」。