小泉八雲(ラフカディオ・ハーン:Lafcadio Hearn)    嘉永3年〜明治37年(1850-1904)

   ギリシャのレフカダ島でイギリス軍軍医とギリシャ人の母の間に生まれた。ハーン7歳のとき父母は離婚、父は病死し、伯母に引き取られた。ハーンは学校で遊んでいるときに左目を負傷し視力を失った。明治2年(1869)19歳で南北戦争の直後のアメリカに渡った。
 明治17年(1884)ニュ−オリンズで開催された万国博覧会で日本・東洋関係のものに関心を示し、その後出版社の日本紀行記を書く企画のため明治23年(1890)来日。しかし、出版社とトラブルになり契約を破棄し、生活は困窮したが、東大教授のチェンバレン氏などに助けられ島根県の松江中学の英語教師となった。このとき家政婦としてハ−ンの世話をしていた小泉節と内縁関係となる。
松江は寒く、熊本に移ったがすぐに神戸へ移り英字新聞のジャ−ナリストとなった。子供が誕生していたこともあり、明治29年(1896)節と入籍し日本に帰化して「小泉八雲」に改名した。明治29年(1896)東京帝国大学教授となり東京に移住、英文学を担当。文筆活動を盛んにおこなった。
著書:「知られざる日本の面影」「日本瞥見記」「東の国から」「心」仏の畑の落ち穂」「異国情趣と回顧」「霊の日本」「影」「日本雑記」「骨董」「怪談」など。明治37年(1904)には日本の民話などの短編集「KAIDAN」を米国で発表し評判となった。