駒井重格(こまいしげたか)    嘉永5年8月21日〜明治34年12月9日(1853-1901)

    日本の官僚、経済学者。専修大学創始者の一人。父、桑名藩士・駒井重周。江戸八丁堀出身。慶応3年(1867)に15歳で家督を継ぎ、翌年の戊辰戦争では桑名藩軍(藩主・松平定敬)に加勢して越後柏崎から東北地方へ参戦した。敗北後は、明治7年(1874)定敬の弟定教の米国留学に随行した。渡航を前に米国教師から2年間英語を学び、米国ではラトガース大学に入学、文科で経済学を学んだ。明治12年(1879)に帰国。大蔵省准奏任御用掛。帰国後は留学中に知り合った田尻稲次郎と明治13年(1880)9月16日専修学校(現、専修大学)を開校した。明治14年(1881)大蔵省国債局に出仕。その後、岡山県中学校兼師範学校長となり、同県商法学校長も兼務した。明治15年(1882)には大蔵省に戻った。明治19年(1886)大蔵省参事官。会計法の制定にも参画した。明治29年(1896)には東京市区改正委員、大蔵省国債局長兼参事官。翌年には農商務省参事官。明治32年(1899)高等商業学校(現在の一橋大学)の第10代校長に就任。従四位勲3等瑞宝章。49歳。著書:「経済考」、「支那貨幣考」。訳:「歳計予算論」。

墓は、谷中霊園 乙5号5側。正面「駒井重格 同長子之墓」。