小松済治(こまつさいじ)    弘化3年〜明治26年5月12日(1846-1893)

    法学者・岩倉使節団随員。父、馬島瑞謙(長男)。紀州(和歌山)出身。山本覚馬に蘭学を学ぶ。17歳で長崎に行き西洋医学を学ぶ。その後ドイツに留学し、法律を学ぶ。明治2年(1869)帰国し紀州侯の顧問となる。また、東京裁判所に勤める。明治4年(1871)25歳の二等書記官時代とき、岩倉使節団として渡欧米。米国との条約改正をワシントンで始めたが難航、大久保と伊藤に随行して先に日本に帰国し、国別交渉の不利を報告した。訳本:「建国談」(グナイスト氏原著)。47歳。

墓は、谷中霊園 乙6号3側。正面「従五位勲五等小松済治君之墓」。会津藩士の書家山内香渓(1841-1923)撰書・梧竹篆額の碑文あり。