小坂梅吉(こさかうめきち)     明治6年11月8日〜昭和19年12月2日(1873-1944)

    「日比谷松本楼」主人・政治家。父、小坂駒吉(二男)。東京市京橋区銀座尾張町にて出生。明治31年(1898)父の没後、家業を継ぐ。明治36年(1903)東京市の日比谷公園内のレストラン誘致入札により「日比谷松本楼」を創業。大正初年(1912)京橋区会議員(当選6回)。東京市会議員6期。関東大震災東京復興評議会議員。市参事会員。昭和9年(1934)都市施設視察のため欧米を回る。京橋区教育評議員会議長。市学務委員長。土地区画整理委員会議長。帝都復興院評議員。昭和12年(1937)東京第3区衆議員議員。昭和14年(1939)多額納税者として貴族院議員。新橋演舞場などの社長。勲四等。72歳。
※ 「日比谷松本楼」:日比谷公園の中にある、由緒正しき洋食グリルの名店。孫文とも強いかかわりがあることから、日中友好のシンボルでもある。胡錦濤国家主席来日に際し、日本政府が非公式の夕食会場として松本楼が選ばれたのもこのため。孫文が宋慶齢と結婚したのは日本に亡命中のことで、宋慶齢が愛用の山葉製(ヤマハ)の国産ピアノ第1号のピアノや記念写真など、貴重な品々を松本楼が譲り受け、現在も松本楼の1階のロビーに展示されている。また、多くの著名人も訪れ、夏目漱石・高村光太郎・松本清張らの小説の舞台にもなっている。

墓は、谷中霊園 乙8号10側。低地側斜面。正面「小坂梅吉之墓」。「大雄院殿梅窓清薫居士」。