高津山芳信(こうづさんよしのぶ)/朝日山四郎右衛門 大正8年2月22日〜昭和38年5月28日(1919-1963)
関取・16代朝日山四郎右衛門。本名、喜多芳信。奈良県高市郡高取町出身。昭和10年(1935)朝日山部屋に入門。同年5月初土俵。昭和15年(1940)5月場所で新十両。幕下に落ちるなど足踏みがあったが、昭和18年(1943)5月場所で新入幕。昭和22年(1947)11月場所、東前頭5枚目から関脇に抜擢。上位での活躍ののち怪我をして4場所連続休場ののち昭和28年(1953)5月場所をもって引退。幕内成績は、125勝150敗1分40休。引退後は、師匠の没後を受けて16代朝日山四郎右衛門となるが急逝。44歳。
※ 高津山(朝日山)の没後は、二瀬山が引き取り、合併した朝日山部屋として出発。
墓は、興禅寺墓地(谷中5-2-11)。本堂横通路を行き、2本目の通路に入り、右側2基目。正面「喜多家之墓」。「朝陽院韶光芳信居士」。