熊谷猪之助(くまがやいのすけ)/敷島猪之助    明治20年11月9日〜昭和32年1月19日(1887-1957)

    旧熊谷部屋親方。富山市新庄町出身。父、持田七五郎(長男)。18歳で角道を志し上京、友綱部屋に入門。四股名を敷島と名乗る。前頭4枚目まで累進する。荒玉辰之助が8代熊谷を襲名して熊谷部屋を創設したが、大正10年(1921)1月場所限りで老齢のため廃業し、友綱部屋の敷島猪之助に譲渡、同時に敷島は引退して9代熊谷を襲名。日本相撲協会理事として角道の発展に尽力した。没後、熊谷部屋は閉じられ、遺弟子は荒磯部屋に移った。69歳。

墓は、寛永寺第二霊園。中央通路中ほど北側へさらに中ほど入る。墓碑銘は「持田家之墓」。「記念碑」の年号が昭和25年3月になっているので生前に建立されたものと思われる。