草鹿浅之介(くさかあさのすけ)     明治33年10月25日〜平成5年8月11日(1900-1993)

    弁護士・最高裁判事。大正14年(1925)京都帝国大学法学部法律科卒。昭和28年(1953)札幌高等検察庁検事長。昭和33年(1958)福岡高等検察庁検事長。昭和35年(1960)大阪高等検察庁検事長。昭和37年(1962)最高裁判事を歴任。昭和45年(1970)退官し弁護士となる。ロッキード事件丸紅ルートの一・二審で田中弁護団の最高顧問をつとめる。また、「八幡製鉄事件」の大法廷において陪席裁判官を務める。さらに、「三島由紀夫」事件では、「楯の会」の就任弁護士も務める。昭和45年(1970)勲一等瑞宝章。92歳。

墓は、谷中霊園 甲6号17側。正面「?応院殿天性◇◇居士/瑞応院殿天室妙綱大姉」。本人の法名は「自源院汲道清泉居士」。