日下誠(くさかまこと)    明和元年〜天保10年6月3日(1764-1839)

    和算家・歴史家・詩人。通称、貞八郎。字、敬祖。号、五頼。初め鈴木誠政、矢田喜惣太、後に日下貞八郎と名乗る。若い頃から安島直円(あじまちょくえん:1732-1798)の門に入り、皆伝を得、麻布日下窪で塾を開く。なお、安島直円の師は、山路主住(やまじぬしずみ)。76歳。

墓は、多宝院墓地(谷中6-2-35)。慈母観音像の右側通路を左に入り、右に中央通路を行き、2基の灯篭のある大きな「松源楼」とある墓域の左隣り。小型の自然石板碑で正面は「日下誠先生之墓」。「覚真院観翁照道居士」。