楠田謙蔵(くすだけんぞう)    文久2年〜明治42年3月2日(1861-1909)

    明治期の産婦人科の名医。父、松岡栄次郎(4男)。号、秀峰・不識叟。兵庫県神崎出身。楠田氏の養子となる。明治10年(1877)兵庫県医学校に入り、明治14年(1881)淡路に開業。明治20年(1887)東京の桜井郁次郎の産婦人科病院医員となり、産科手術を教授、産婆の養成に努める。のち東京市日本橋区浜町に楠田病院を開業。49歳。著書:「桜井氏産科手術学」、「櫻井氏産婆手術書」。

墓は、谷中霊園 甲4号1側。さくら通りに面する。正面「楠田家之墓」。