葛原猪平(くずはらいのへい) 明治12年12月22日〜昭和17年1月15日(1879-1942)
日本の食品冷凍流通の生みの親。山口県山口市出身。東京商業学校(一橋大学)卒業。農商務省海外実業練習生として渡米。ペンシルベニア大学・ウィスコンシン大学・コロンビア大学で政治経済学を修めたのち、 ニューヨーク市の貿易会社に入社。明治41年(1908)貿易会社「葛原商会」を設立。大正3年(1912)「山口電灯」を設立、のち山陽電機と改称。大正6年(1917)に渡米し、アメリカの冷凍冷蔵を視察、鮮魚の凍結・冷凍保管を研究し、大型冷蔵庫を建設するためアメリカ人冷凍技師のハワード・ゼンクス氏を伴って帰国。大正7年(1918)「葛原商会」を株式会社とする。大正9年(1920)日本の豊富な水産資源をアメリカ式の低温流通させようと北海道森町に「森冷凍庫」を設立、引き続き気仙沼など全国各地に冷蔵庫を建設。「国立博物館産業技術の歴史」によると、わが国における食品凍結事業の始まりである。「江浦丸」を買い取り冷蔵運搬船に改造。大正11年(1922)「葛原冷蔵」を設立。関東大震災では、森冷蔵庫の冷凍魚を運び、罹災者にう無料で配布。大正14年(1925)倒産し、「東洋冷蔵株式会社」と改称。昭和3年(1928)立憲政友会から衆議院議員に立候補して当選。昭和5年(1930)政界から引退。62歳。次女に日本画家の葛原輝(1915- )がいる。著書:「食糧政策之確立」。
※ 森町には現在「日本冷凍食品事業発祥の地」の記念碑が建てられている。
墓は、谷中霊園 甲9号7側。正面「葛原家累代墓」。