間島冬道(まじまふゆみち)    文政10年10月8日〜明治23年9月29日(1827-1890)

    江戸幕末の勤王志士・国学者・歌人。幼名、万次郎。字、正興・正休。愛知県出身。旧尾張藩士。はじめ植松茂岳に国学を学ぶ。藩命により大阪で熊谷直好に師事。藩主徳川慶勝を助けて勤王の志士として活躍。維新後は、権弁事・土肥謙蔵らと刑法官判事。湧谷県知検事・名古屋県参事・宇和島権令。旧名古屋県、犬山県(のち、額田県も)を併合し、愛知県を作った。明治5年(1872)官を辞し、十五銀行支配人・日本鉄道検査役。歌の道に入り、春風来海上の御題詠進で名をあげる。宮内省御歌所寄人。明治六歌仙の一人。正五位。64歳。著書:「冬道翁歌集」、「歌のはなし」、「伊香保日記」。

間島冬道墓
墓は、谷中霊園甲9号21側。南北の通路より3基目。正面「正五位間島冬道墓」。墓碑裏に経歴あるも垣根で撮れず。