牧野康済(まきのやすまさ)/牧野兼民/牧野康民    天保12年1月9日〜明治15年11月25日(1841-1882)

    信濃小諸藩第10代藩主(最後)。越後長岡藩分家牧野家12代。父、信濃小諸藩第9代藩主牧野康哉(長男)。安政6年(1859)11月16日に従五位下・周防守に叙位・任官。文久3年(1863)3月16日に内膳正に遷任。同年に父が死去にjともない家督を継いで第10代藩主となる。元治元年(1864)3月26日に遠江守に遷任。戊辰戦争では新政府に帰順。明治2年(1869)版籍奉還で小諸藩知事となる。明治4年(1871)7月の廃藩置県で藩知事を免官。その後、康民と改名する。妻、楠子。長男に子爵牧野康強がいる。

牧野康熙     明治28年〜昭和19年11月24日(1895-1944)

     越後長岡藩分家牧野家13代・子爵。名、次郎。養父、牧野康強(まきのやすたけ:1878-?:独身)。父、嵯峨公勝(さがきんとう)(二男)。子爵牧野康強の養子となり、改名して襲封。従四位。明治14年(1881)貴族院議員。妻、京都府大村彦一郎の妹当子。子は、牧野実愛(まきのさねよし:1923?-1991.12.16)。孫は、牧野康愛(まきのやすよし?:1947?-1992.11.25)

墓は、谷中霊園乙8号10側。康民:正面「牧野康民墓」。康熙:正面「牧野康熙之墓/牧野當子之墓」。没年月日は、墓誌による。牧野康強は、墓碑もなく墓誌にもない。