正岡容(まさおかいるる) 明治37年12月20日〜昭和33年12月7日(1904-1958)
芸能研究家・小説家。旧名は平井蓉。父、医師平井茂。神田東松下町(東京都千代田区神田)出身。7歳で正岡家の養子となる。大正6年(1917)京華中学校入学。在学中に短歌を吉井勇(よしいいさむ:1886-1960)、戯曲を久保田万太郎、川柳を阪井久良伎(さかいくらき:1869〜1945)に学び、自称弟子となる。大正11年(1922)歌集「新堀端」、小説紀行集「東海道宿場しぐれ」を刊行。大正12年(1923)日本大学入学。同年発表した小説「江戸再来記」が芥川龍之介に絶賛され文筆活動に専念、大学は中退した。昭和初年大阪で記者をし、この時代に情死事件を起こす。大阪では落語を3代目三遊亭圓馬に師事し、高座にも上がり、「寄席演芸理解」のもとをつくった。その後東京に戻り、作家小島政二郎(1894-1994)に師事。昭和8年(1933)に「蓉」から「容」に改名。昭和16年(1941)舞踏家の花園歌子と結婚。辞世の歌は「打ち出しの太鼓聞えぬ真打はまだ二三席やりたけれども」。門下に小沢昭一、大西信行、永井啓夫、3代目桂米朝、都筑道夫、加藤武、小島貞二らがいる。著作:「荷風前後」、「随筆百花園」、「円太郎馬車」、「寄席風俗」など。
墓は、玉林寺墓地 (谷中1-7-15)。墓地へ上がる階段上を右に、すぐ左に入った右側。正面「正岡累代墓」。歌碑が境内にある。「おもい皆 叶う春の灯 点りけり」。