増田賛(ますださん)     天保10年〜明治35年5月1日(1839-1902)

    明治期の官吏・判事。富山県小杉町出身。儒学を安井息軒・藤森天山などの門に学ぶ。明治元年(1868)官史となり、下野県属・東京府権少参事。明治9年(1876)司法権少丞。以来、栃木・静岡・広島・宮城の諸県の判事を勤める。明治9年(1876)世道人心の救済のための「修身学社」を西村茂樹と創立、明治20年(1887)「日本弘道会」と改名し、「弘道会雑誌」を発行。終始国民思想の啓蒙に努めた。現在は、文部科学省所管の公益法人。明治32年(1899)退官。従五位勲五等。

墓は、谷中霊園 乙8号7側。低地部。正面「判事従五位勲五等増田賛墓」。