松原佐久(まつばらすけひさ) 天保6年12月28日〜明治43年5月31日(1835-1910)
幕末明治の有職家・画家・判事。通称、彦一郎。号、貫一斎。父、出羽矢島藩家老佐藤佐興(すけおき)(二男)。秋田県出身。元矢島藩士。藤川貞に入門し伊勢流故実を学ぶ。また、相沢石湖(せきこ)に絵を学ぶ。慶応3年(1867)藩の公用人となり、砲術の大家で戊辰の役では庄内征伐の矢島藩総指揮を任ぜられ功績を挙げる。のち、佐藤良輔・遠藤貞一郎・進藤卿彦らと山口県10等出仕。明治2年(1869)大参事。明治9年(1876)3級判事補。明治10年(1877)広島裁判所判事補。明治12年(1879)鹿児島裁判所判事補。明治14年(1881)同判事。明治15年(1882)徳島始審平支庁判事長。明治21年(1888)奏任4等下。福島始審裁判所白河支庁判事。古器・古画に通暁、甲冑製作に造詣が深く、絵は、歴史画を得意とする。従五位勲六等。妻、千代子。76歳。著書:「鎧話」。
松原久之(まつばらひさゆき) 安政元年〜大正5年3月30日(1854-1916)
判事。父、松原佐久(長男)。明治34年(1901)ころ岐阜県大垣区裁判所判事。正五位勲四等。62歳。
墓は、養福寺墓地(西日暮里3-3-22)。正面「松原家之墓」。山門より見て本堂右側の墓地。右側塀際。塀外の電信柱の辺り。