松平親貴(まつだいらちかたか) 天保9年5月15日〜明治15年8月20日(1838-1882)
豊後杵築藩第10代藩主。父、第9代藩主松平親良。幼名、録之助。慶安4年(1868)4月9日父の隠居にともない家督を継ぐ。父は佐幕派であったが親貴は新政府派で、戊辰戦争では会津に出兵した。版籍奉還により藩知事。廃藩置県で免官。室秀子は、三河西尾藩4代藩主松平乗全の4男松平乗懿(まつだいらのりよし:1827-1850)の長女(1850-1937)。
※ 豊後杵築藩歴代藩主は次ぎのとおり。初代・松平英親(ひでちか:1652-1706)。2代・松平重栄(しげよし:1645-1720)。3代・松平重休(しげやす:1691-1715)。4代・松平親純(ちかずみ:1703-1739)。5代・松平親盈(ちかみつ:1726-1801)。6代・松平親貞(ちかさだ:1751-1800)。7代・松平親賢(ちかかた:1753-1802)。8代・松平親明(ちかあきら:1785-1825)。9代・松平親良(ちかよし:1810-1891)。10代・松平親貴(ちかたか:1838-1882)。この後、松平親信(ちかのぶ:?-1914.12.18)という子爵が存在する。
松平親信(まつだいらちかのぶ) 明治8年12月21日〜大正3年12月18日(1875-1914)
子爵・松平親貴の長男。幼名、龍若。明治15年(1882)家督を相続し改名する。明治17年(1884)子爵・貴族院議員・従四位勲四等。39歳。夫人岳子は、旧高松藩主松平頼聡の8男伯爵松平頼壽(まつだいらよりなが:1874-1944)の妹。
松平親義(まつだいらちかよし) 明治37年8月16日〜昭和43年3月16日(1904-1968)
子爵・貴族院議員。父、杵築藩主松平親信(長男)。母、松平頼聡の4女で松平頼寿の妹松平岳子(昭和22年7月18日歿)。最後の藩主松平親貫の孫。大正3年(1914)襲封。陸軍省・拓務省各嘱託。昭和3年(1928)貴族院事務局勤務。昭和16年(1941)貴族院議員。従四位。戦後は、大分大学学芸部教授、同学部長。妻輝子(1909-1956)は、久松定謨の4女。65歳。著書:「国家と軍隊」。
※ 久松定謨(ひさまつさだこと): 慶応3年9月9日〜昭和18年2月19日。伯爵・陸軍中将。旧松山藩主15代。ドラマ「坂の上の雲」の秋山兄弟の殿様。
墓は、谷中霊園 乙11号6側。正面「松平家之墓」。親貴:「泰岳院殿顕真白光大居士」。親信:「清崇院殿純道親信第大居士」。秀子:「梅英院殿幽屋清香大姉」。岳子:「貞鏡院殿智明慈光大姉」。輝子:「普明院殿本照清泉大姉」。親義:「倹徳院殿真親義大居士」。墓誌は、植え込みの後。