松平乗政(まつだいらのりまさ)/石川乗政    寛永14年〜貞享元年10月17日(1637-1684)

    常陸小張藩主のち信濃小諸藩主(初代)。名、助十郎。氏、石川。父、美濃岩村藩第2代藩主松平乗寿(のりなが)(二男)。松平乗久(のりひさ)の弟。正保元年(1644)徳川家光に拝謁し命により徳川綱吉の近侍となる。ときに8歳。慶安4年(1651)従五位下美作守。家光没後は4代将軍徳川家綱に仕える。承応元年(1652)小姓。承応2年(1653)能登守。承応3年(1654)父の遺領上野国の5000石の家督を分与され旗本となる。寛文元年(1661)常陸小張藩主となる。寛文2年(1662)小姓頭となり奥の勤務を兼ねる。延宝2年(1674)御腰物方舞踊猿楽等の支配となる。延宝7年(1679)若年寄の1万石の大名となる。天和2年(1682)奏者番となり2万石の信濃小諸藩松平(大給家)初代藩主となる。室は、岩城伊予守重隆の娘。継室は、松浦肥前守鎮信の娘。後継は、長男松平乗紀(まつだいらのりただ:1674-1716)。48歳。

墓は、寛永寺谷中墓地(春性院墓地)。乙14号と乙13号の境の通路を東に入り、ほぼ突き当たり。没年日を16日とする資料があるが、墓標にある17日を採用した。「瑞祥院殿感巌道応大居士」。