松平慎斎(まつだいらしんさい)    文化2年〜文久3年7月5日(1805-1863)

    江戸後期の需家。名、義トシ(よしとし)。通称、謹次郎。宮崎畏斎・西川楽斎に師事。のち「麹渓書院」の教授。59歳。

墓は、仏心寺墓地(谷中1-5-35)。墓地右奥に近い中程。正面「松平義トシ君之墓」。「高徳院殿晴月日勇居士」。略歴を書いた碑がある。