松平家合祀墓(まつだいらけごうしぼ)    昭和2年7月12日(1927)

    津山藩松平家合祀墓。H.N.もへい様の情報では、松平光長から松平斉孝まで埋葬されている。五輪塔裏の文章は下記のとおり。

我が松平氏初め越前へ封せられ越後に轉し後美作に移?津山城に治し以て明治廃藩およべり其の間江戸に在りて館を捐(捨)てし者第三世?照公以下五世?夫人子女二十二人概ね西久保天徳寺に葬り他に芝青松寺及谷中感応寺に葬り者各一あり頃日官市区を改正し天徳寺墳墓の移転を命ず乃ち地を谷中の塋(墓)域合葬し上に五輪塔を立て由来を記して後?に告ぐ
昭和二年七月十二日 十五世孫正五位子爵松平康春謹みて識?す

墓は、寛永寺谷中霊園。徳川慶喜墓東側低地中央付近。墓碑が黒ずんでいるのは昭和期建立で空襲時の焼夷弾に焼かれたため。