松居松翁(まついしょうおう)    明治3年〜昭和8年7月4日(1870-1933)

    シナリオ作家。宮城県塩釜町出身。本名、眞玄(まさはる)。号、松葉・駿河町人・松翁。仙台中学校を中途退学。一時丁稚奉公したが、5年の後上京して国民英学舎でアメリカ人歯科医のW.C.イーストレーキ博士の家に住み語学を学ぶ。その後文筆に転向、坪内逍遥(1859-1935)に師事、「早稲田文学」の創刊当初編集委員となる。また、一時新聞界でも活躍。明治27年(1894)処女脚本「昇旭朝鮮太平記」五幕を読売新聞に連載し劇界にデビュー。その後長年にわたり多数の訳著脚本を書いている。明治39年(1906)初代市川左団次と共に演劇研究のため渡欧米。明治49年帝国劇場に入り、大正2年(1913)河合、小堀らと公園劇場を創設。松竹文芸部顧問。大正13年(1924)号を松翁と改める。子(次男)に脚本研究家の桃多郎がいる。著:「灯籠大臣」、「光悦の母」、「鰹船」、「アンナ・カレニーナ」など多数。64歳。

墓は、春性院谷中墓地。乙11号14側通路前、フェンス入り口そば。正面「無名院松翁高風大居士」。