松倉正道(まつくらまさみち)    文政11年2月11日〜明治30年2月28日(1828-1897)

    丹後国浜田藩家老。父、松倉正供(二男)。慶応2年(1866)勅命に従って幕府は、浜田藩主松平右近に長州征討の命をだした。中老片岡彈正暉を先鋒とし、家老松倉丹後正道を後隊の将とし兵を藩境益田に出したが敗れ、7月18日には浜田城を自焼して藩主以下出雲に退いた、さらに慶応3年(1867)3月美作の領地へ敗走するに至った。

墓は、臨江寺墓地(谷中1-4-13)。高台側右奥。正面「舊(旧)浜田藩家老松倉正道君墓」。