松浦信正(まつうらのぶまさ) ?〜明和6年5月11日(?-1769)
松浦家第26代当主で肥前国平戸藩初代藩主松浦鎮信(まつうらしげのぶ:1549-1614)の二男。母、朝鮮女性の小麦様。兄松浦久信(まつうらひさのぶ:1571-1602)は、第2代藩主。松浦鎮信が豊臣秀吉に朝鮮出兵を命じられ、朝鮮の首都漢城(ソウル)を占領したおりに、小麦畑の中に隠れていた美しい女性を家臣が連れてきて鎮信に差し出し、鎮信は妾にし、小麦様と呼ばれた。小麦様は、朝鮮から帰国の途中に男子を生み、のちに2人の男子を生む。そのうちの一人が松浦信正と言われている。その後、松浦信正は、平戸藩の家老河内守となり、根獅子・獅子・生月に3000石の領地を与えられた。慶長12年(1607)の朝鮮通信使の接待役となった折に母のことを尋ねたとされる。また、小麦様は、根獅子で、その生涯を閉じたという。かなり伝説的な内容であるが、信正は、かなりの高齢まで生きたということになる。
墓は、谷中霊園 甲1号3側。正面「信正院殿前河洲刺史功山紹勲大居士」。墓碑正面には、松浦信寔らの名も見られる。