壬生輔世(みぶすけよ) 文化8年〜明治12年2月17日(1811-1879)
公卿。明治9年(1876)従三位。華族類第6類。小槻朝臣 垂仁天皇皇子於知別命後今雄裔。権掌侍正六位壬生広子の父。「廷臣八十八卿列参事件」に関与、日米修好通商条約締結にあたり官務壬生輔世と出納平田職修より地下官人97名による条約案撤回を求める意見書が孝明天皇に提出され、その結果、孝明天皇は条約締結反対の立場を明確にし、条約の勅許を頑強に拒否することになった。
墓は、谷中霊園乙3号17側。同墓地内に男爵の壬生謨vの墓碑もある。