緑川浩(みどりかわひろし)    明治18年〜昭和45年9月9日(1885-1970)

    医者。父、医師緑川興功(長男)。東京出身。泉橋三井慈善病院内科医局勤務。大正5年(1916)南胃腸病院副院長、伝染病研究所兼務。昭和3年(1928)「副腎のアドレナリン含有量の研究」で医学博士となる。昭和21年(1946-1962)癌研付属病院第2内科部長。

墓は、天王寺墓地。天王寺山門前。囲い中。「緑川家祖先之霊」、「慈賢院仁誉研学浩秀居士」。