三間正弘(みままさひろ) 天保6年〜明治32年6月3日(1835-1899)
陸軍大佐・憲兵本部長・石川県知。通称、一之進。長岡藩家老。河井継之助に目をかけられていたが、戊辰の役で河井が倒れると、後を托され官軍に激しく抵抗。明治7年(1874)権少警視。明治10年(1877)西南の役で第3警視隊指揮長。明治14年(1881)憲兵中佐、初代東京憲兵本部長。明治17年(1884)陸軍大佐。のち従五位勲三等旭日綬章。明治21年(1888)憲兵本部長。明治23年(1890)第3回内国勧業博覧会事務委員。明治26年(1893)石川県知事。従四位勲二等。明治29年(1896)非職。妻、九里清子(1840-1880)。
墓は、谷中霊園 甲1号8側。正面「従四位勲二等三間正弘墓」。