美濃部俊吉(みのべしゅんきち) 明治2年12月6日〜昭和20年9月26日(1869-1945)
北海道拓殖銀行頭取・朝鮮銀行総裁。父、美濃部秀芳(長男)。兵庫県出身。法学博士美濃部達吉の兄。明治26年(1893)農商務省出仕、商工局工務課長、農商務省参事官、特許局審査官兼書記官。ついで大蔵省に移り、理財局書記官兼大臣秘書官。明治36年(1903)第2代北海道拓殖銀行頭取。のち朝鮮銀行総裁。明治38年(1905)北海道水力電気社長。その他、大東産業社長・札幌グランドホテル初代社長。正六位勲三等。77歳。
美濃部洋次(みのべようじ) 明治33年11月1日〜昭和28年2月28日(1900-1953)
官僚。父、美濃部俊吉(二男)。東京出身。大正15年(1926)商工省特許局・外務省貿易局。満州国実業部文書課長。国務院総務課参事官兼実業部理事官・文書課長。工政課長。工務課長。昭和14年(1939)商工書記官。繊維局総務課長。綿業課長。物価局事務官。第1部総務兼企画課長。
墓は、谷中霊園 乙13号右3側。正面「美濃部一家之墓」。