三崎亀之助(みさきかめのすけ)     安政5年1月2日〜明治39年3月16日(1858-1906)

    衆議院議員・貴族院議員・正金銀行副総裁。父、丸亀藩士三崎吉太郎。愛媛県出身。明治15年7月東京大学卒業。明治17年(1884)外務省御用掛、外務省書記生となり、九鬼公使に随行しワシントンに駐在。明治19年(1886)無住所を以て取調局に勤務、交際官試補。明治21年(1888)外務省参事官。明治22年(1889)辞職。6月明治23年(1890-1896)衆議院議員。明治29年(1896-1898)内務省県治局長。明治29年(1896-1906)12月貴族院議員。明治32年(1899)4月横浜正金銀行本店支配人。明治33年(1900-1906)正金銀行副総裁。49歳。

墓は、天王寺墓地。千人塚前通路をさくら通りから入り、約50m右側。正面「三崎家之墓」。