宮川由多加(みやかわゆたか)    慶応2年〜明治37年1月22日(1866-1904)

    日本で初めてニッケルメッキの工業化した人。三河出身。薬剤学者でメッキ法を発明。明治25年(1892)宮川由多加が、ニッケルメッキを日本ではじめて工業化し、本格的なメッキ工場を東京で創業した。因みに、 日本で電気メッキをはじめて行なったのは、鹿児島藩主島津斉彬(しまずなりあきら)で、安政2年(1855)ダニエル電池を用いて、甲冑製品に金、銀メッキをおこなったとされる。 大阪宮林電鍍工場宮林操三の実兄。39歳。

墓は、谷中霊園 乙13号右2側。正面「宮川由多加之墓」。大きな顕彰碑がある。