三宅正広(みやけまさひろ) 寛永15年?〜宝永3年8月5日(1638?-1706)
大目付松波正春の父。名、五郎八・三郎左衛門。父、三宅弥次兵衛正勝(4男)。母、武田家臣駒井政武の孫で大阪の陣で功を挙げた駒井右京親直の娘。伯父、三河国挙母藩初代藩主三宅康貞。叔父、久野民部小輔宗朝と決闘し同志討ちして死んだ三宅正次。寛文3年(1663)はじめて将軍徳川家綱に拝謁。御書院番となる。寛文4年(1664)12月10日父の遺跡を継ぎ、300俵をもらう。元禄11年(1698)番を辞し、小普請となる。妻は、建部伝右衛門直昌の娘。3男は、大目付松波正春。享年69歳。
※ 駒井政武(生没年不詳):戦国時代の武将。駒井政時の子。若き日の武田信玄の世話役。
※ 駒井親直(1576-1631):駒井昌直の子。大阪の陣で大野治長の先鋒をやぶる。
※ 三宅正次の母は鳥居元忠の妹。
※ 鳥居元忠の側室は馬場信春の娘。
※ 鳥居元忠(1539-1600):「伏見城の戦い」時の伏見城主。
※ 馬場信春(1514?-1575):戦国時代の武将で、武田四名臣の一人。
※ 三宅康貞(1544-1615)の娘は、内藤政長の正室。
※ 内藤政長(1568-1634):上総国佐貫藩主を経て陸奥国磐城平藩初代藩主。
※ 松波正春(1665-1744):松波正次の末期養子。小普請奉行⇒勘定奉行⇒大岡忠相の後任の南町奉行⇒大目付兼宗門改役。
墓は、長明寺墓地(谷中5-10-10)。鐘楼脇通路を入り、直ぐに1本右の通路に移り、右側奥。正面「妙法 智光院照朝日慧霊」。三宅正勝以降、長明寺が菩提寺となる。