宮尾矯(みやおたかし)    天保7年〜明治6年6月21日(1836-1873)

    紙幣少屬。長野県出身。明治元年(1868)貨幣局属史。明治3年(1870)大蔵省掌、出納少令史。明治4年(1871)紙幣少属・会計官出納属史および掌貨幣事。明治6年(1873)新貨幣が造られたおり、西日本各県を巡行し、旧貨幣を交換したが、福岡県において県民の疑いの風評にさらされ義心被害に遭い、煽乱に怒り自決死する。38歳。

墓は、谷中霊園 甲6号15側。島田重礼撰文・伊藤桂洲書による碑がある。正面「紙幣少屬宮尾君碑」。