宮崎三昧(みやざきさんまい)    安政6年8月1日〜大正8年3月22日(1859-1919)

    小説家。本名、宮崎璋蔵(しょうぞう)、別号、三昧道人。江戸下谷御徒町出身。漢学を芳野金陵に師事。茗渓学校を経て東京師範学校に学ぶ。卒業後教鞭を執り、明治13年(1880)「東京日日新聞」に入社。明治35年まで新聞各紙の文芸欄の執筆などし、歴史小説家として著名となる。明治26年(1893)の「塙団右衛門」は代表作。明治30年代、冨山房の「袖珍名著文庫」に携わり「春花五大力」、「狂歌萬載集才蔵集」、「仮名手本忠臣蔵」、「日本新永代蔵」、「松浦佐用姫石魂禄」、「落語選」、「太平記忠臣講釈」などを校訂した。明治39年(1906)腸チフスのため両足が不自由となり執筆から遠ざかり、大正に入って「賞奇楼叢書」で古典の翻刻に尽力した。腎臓病で死去。子に大正期の少年小説界において活躍した宮崎一雨(みやざきいちう)がいる。なお、上田秋成の「雨月物語」を世に紹介した。著:「桂姫」。

墓は、金嶺寺墓地(谷中1-6-27)。山門より入り境内右側のエリアすぐ。お寺の方の案内で示された墓であるが、子孫の墓碑と思われる。三昧の遺骨は、駒込の寺に移転した。