三好政勝(みよしまさかつ) 天文5年〜寛永8年12月10日(1536-1631)
摂津中島城主・戦国時代に摂津国や阿波国などを支配した戦国大名。父、三好政長(宗三)。永禄11年(1568)織田信長が15代将軍・足利義昭を奉じて入京してくると、織田氏に対抗できるような力は無いと悟り、元亀元年(1570)に信長の家臣となる。信長の死後は豊臣秀吉に仕え、秀吉の死後は徳川家康に仕えた。その後は徳川方(旗本)として、慶長19年(1614)冬と元和元年(1615)夏の大坂の陣にも出陣。兄三好政康とともに茶人として有名であったが討ち死にする。真田十勇士のモデル三好伊三入道として知られる。慶長9年(1604)従五位下因幡守。96歳。孫の備後守長宏は奈良奉行。
墓は、甲1号2側。法名「善長寺殿前日州名刺史賢通為三大居士」。「政勝」という字は読み取れない。