三善茂子(みよししげこ)     文化12年?〜明治24年1月20日(1815?-1891)

    公卿近衛忠煕(1808-1898)の側室。通称、玉橋大夫。父、三善亮績(長女)。有栖川宮職仁親王の第5王女の泰宮薫子(くんこ:1784-1840)女王(円台院)に12歳で仕える。薫子女王は、近衛忠煕公の祖母である。薫子女王亡きあと、忠煕公の側室となり、3男3女を生む。正室の島津興子は2子を設けたため、茂子の男子3人は高田山の仏門に入れた。76歳。

※ 島津斉彬の養女篤姫は、近衛忠煕の養女となった後、将軍徳川家定に嫁し天璋院となる。
※ 近衛忠煕の四男近衛忠房は、正室の子とされているが、三善茂子の子とする説もある。

墓は、谷中霊園 乙12号10側。正面「本寿院明旭影薫大姉」。