三好晋六郎(みよししんろくろう)    安政4年7月21日〜明治43年1月29日(1857-1910)

      明治期の造船工学者。父、幕臣三好幽叟(四男)。江戸出身。静岡藩校に学び、のち工部省工学寮に入る。工部大学校機械科入学。明治12年(1879)工部大学校機械科を卒業し、ただちに工部省留学生としてイギリスに留学し、ロバート ネピーア会社にてエーシー カーク博士らに就いて造船学を学ぶ。のち、グラスコー大学のトムソン博士に師事する。明治16年(1883)帰国。工部省御用掛を以て大学に出仕。翌年工部大学校造船学科助教授。明治19年(1886)帝国大学教授。明治20年(1887)築地工手学校(工学院大学)の創立に貢献し校長となる。鉄骨木皮船製造法を講義。洋式造船学の先駆者。明治24年(1891)工学博士。明治30年(1897)逓信技官を兼ねる。逓信省艦船局船舶課長。高等官第1等工手学校長。明治39年(1906)旭日中綬章。明治40年(1907)東京商業会議所特別議員。帝国大学教授。明治43年(1910)大学教授室において脳溢血で倒れる。従三位勲二等瑞宝章。54歳。妻、峯子。長男、貞雄。

墓は、谷中霊園 甲5号1側。正面「従三位勲二等工学博士三好晋六郎墓」。