水野伊和造(みずのいわぞう)     弘化3年〜明治39年1月19日(1846-1906)

    明治期に輸入時計を販売した大手時計商。父、水野太助(?)。横浜物産会社佐久間町手代。のち京屋を継ぎ、明治7年(1874)ころ京屋は横浜のファブルブラント商会と提携し、この商会の輸入するゼニット社製の懐中時計の販売総代理店となる。明治22年(1889)ころ京屋出身者や取引関係者らと「京屋組」という全国組織を結成、販売同盟とする。本店は、外神田旅籠町にあり、支店は銀座に作った。店舗屋上に時計台をつくりファブル輸入の四方塔時計を設置し、「外神田の大時計」として親しまれ、東京名物になった。遠くから見え、上野駅に降りる旅行客にとって良いランドマークだったという。伊和造は、時計のほかに東京市の汚物処理や銅山経営にも手を染めていて、歿後の大正2年(1913)頃に京屋は銅山経営に失敗し、本店は川崎銀行に売却された。

※ 墓碑正面に「初代京屋太助之墓」とあるので、京屋の創業者は、水野太助(明治16年8月25日歿)だと思われる。

墓は、谷中霊園 乙3号7側。正面「初代京屋太助之墓」。写真2は、裏面。