森鴎外(もりおうがい)    文久2年1月19日〜大正11年7月9日(1862-1922)

    陸軍軍医総監・小説家。石見国鹿足郡津和野町横堀(島根県鹿足郡津和野町)出身。父、静男。母、峰子。本名、林太郎。号、鴎外漁史・千朶山房主人・観潮楼主人。代々津和野藩亀井家の典医の家柄。11歳のとき父とともに上京。20歳で第一大学区医学校(東大医学部)を卒業。同年、陸軍軍医副に任官、東京陸軍病院課療となる。明治17年(1884)から5年間ドイツに官費留学し衛生学などを学ぶ。帰国後、医者と並行して文学の活動を始めた。その後、陸軍軍医総監となる。明治22年(1889)海軍中尉赤松則良の長女登志子と結婚。その夏、下谷区上野花園町11番地(台東区池之端3丁目3-21)の現在の水月ホテルのある地に移住した。しかし子が生まれると離婚。正四位勲二等功三級。著書に「舞姫」、「うたかたの記」、「文づかひ」、「大発見」、「ヰタ・セクスアリス」、「高瀬舟」、「阿部一族」、訳詩集「於母影」、翻訳「即興詩人」評論などがある。葬儀は谷中斎場。墓は三鷹にある禅林寺。