向井勝幸(むかいかつゆき) 万延元年10月24日〜明治40年5月8日(1860-1907)
彫金家。通称、繁太郎。東京千駄木出身。高田馬場に住む。17歳で海野勝a(うんのしょうみん)に師事。明治23年(1890)東京美術学校設立時に助手となる。明治27年(1894)大婚祝賀のための逓信省献上の花瓶・明治33年(1900)東宮御慶事の際、衆議院献上の鉄形花瓶等を作る。明治39年(1906)東京美術学校教授。その他、多くの作品に好評を得る。48歳。
墓は、大雄寺墓地(6-1-26)。山門より入り、大くすの木の手前を左に入り、すぐ左の通路をフェンス沿いに進み、突き当りから手前に4基目、左側。近くに別の「向井家之墓」があるので、墓誌を確認すること。「中道院実相日理信士」。