向 菊太郎(むかいきくたろう) 明治4年?〜明治37年5月3日(1871?-1904)
第3回旅順港口閉塞船「朝顔丸」指揮官。父、旧金沢藩士向 之政。石川県出身。明治21年(1888)海軍兵学校入学。明治25年(1892)「金剛」乗組員。明治34年(1901)海軍兵学校教官兼監事。明治36年(1903)「松島」航海長。明治37年(1904)海軍少佐。従六位勲四等功三級。日露戦争において海軍に徴発され明治37年(1904)5月8日旅順港閉塞のため「朝顔丸」指揮官として乗り組み、自沈し戦死。33歳。妻、海軍主計中監室田武氏の長女菊重。
※ 「朝顔丸」:明治22年(1889)イギリスで竣工。2461トン。三菱会社が購入。明治26年(1893)日本郵船に売却。三菱が購入時には、船首に婦人木製の像が取り付けられていたが、日本ではこのような習慣がなく、取り外され現在も海事博物館に収蔵されている。
墓は、谷中霊園 乙3号1側。正面「向家之墓」。のちに、引き上げられたため「朝顔丸」の欄干を墓地に設置(写真では茶色に見える部分)。竹馬の友であった藤岡作太郎の撰文がある。