長橋東原(ながはしとうげん)/長橋右膳(ながはしうぜん)     文政10年〜明治18年(1827-1885)・・・※

    書家・詩人。名、賢佐。字、孟輔。号、東原。東京神田出身。幕府先手与力。益田遇所の書の師。東原は神田紺屋二丁目で「牛王宝印」を売っていた。58歳。著書:「竹沙少品」。

※ 「牛王宝印」:神社・寺から出す刷り物の守り札で、災難よけに身につけ、また門口にはる。中世以降は、裏に起請文(神仏への誓い)を書く用紙として広く使用された。

※ 生没年については、墓誌がなく確認できない。谷中過去帳では上記のとおり。東京掃苔録では、安政4年(1857)12月9日没で享年は同じ。「益田遇所(1797-1860)が幼いときに東原について書を学んだ」という資料からすると、東原の1827年生まれは、あり得ない。一方、東京掃苔録では、1857年から58歳を引くと1799年生まれということになり、益田遇所とほぼ同じ年となり、子弟関係になるには、これも少し無理がある。

墓は、長久院墓地(谷中6-2-16)。山門を入り、すぐ右に行き、突き当りの塀寄り通路を左に行った左側。正面「覚泉院東原先生墓」。「覚泉院長祚法印」。墓誌なし。