永井岩之丞(ながいいわのじょう)    弘化2年9月〜明治40年5月25日(1845-1907)

    司法官僚・判事。幼名、鍵之丞・尚忠。号、誠斎。父、幕臣三好山城守。永井尚敏の分家玄番頭永井尚志の養嗣子。戊辰の役では、父と共に脱走し、函館五稜郭に立て籠もった。明治6年(1873)司法官10等出仕。明治13年(1880)判事。明治16年(1883)控訴院判事。明治27年(1894)大審院部長。63歳。

墓は、本行寺墓地。本堂横を真っ直ぐに突き当りまで行き、左奥。正面「判事従四位勲三等永井岩之丞/室高子 墓」。「瑞雲院殿尚忠日順大居士」。